SG-Nextステージ千葉
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テーマ
日本におけるFPの歴史とファイナンシャルプランナーの原点
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日程
2010年9月15日(水)
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時間
18時45分~20時45分
(所要時間:2時間00分) -
活動場所
I-linkルーム ルーム1
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講師
井畑 敏 様
(株式会社エフピープラネット 代表取締役 Mr.FPプロフェッショナルズ 代表 NPO日本FP普及協議会 代表理事)
【プロフィール】
1948年東京生まれ。アメリカ留学によりファイナンシャルプランニング(FP)の道を目指すことになる。日本でもFPの時代が訪れると確信し、帰国後、日本初のFP会社である、「株式会社マネーマネイジメントインスティチュート(MMI)」を設立。FPコンサルティング業務を開始すると同時に、執筆・講演活動を通じてFPの啓蒙に努める。日本ファイナンシャル・プランナーズ協会の設立やファイナンシャルプランナーの資格制度(AFP、CFP)の導入に尽力。日本におけるFPの草分け的存在である。
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課目
・FP実務と倫理
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単位数
2単位
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参加人数
合計21名
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コメント
FPという言葉も広く社会に認知されるようになりましたが、その歴史を知る人は多くはいません。
9月の定例勉強会は
日本にファイナンシャルプランナーを導入し、
日本初のFP会社「MMI」を設立した井畑敏氏
を招きFPを日本に導入した経緯と現在までの歴、日本におけるFPの在り方や原点を本人から直接語っていただきます。
【研修報告】
FP1 パーソナルファイナンス 1-4、5、7、8 に該当
学習内容:日本におけるFPの発展 日本とアメリカのFPの違い FP業の本質など等
【講義録~一部抜粋~】
SG-千葉FP実践会 定例勉強会(2010年9月15日)
日本におけるFPの歴史とファイナンシャルプランナーの原点~プロのFPとして活動するためにFPの歴史を学ぼう~
講師:井畑 敏(株式会社エフピープラネット 代表取締役)
井畑です。よろしくお願いします。
今日は、「日本におけるFPの歴史とファイナンシャルプランニングの原点」ということで、過去こんなことがあったよということをご説明できたらと思います。それから、今私が行っているのが、FPの実務者といいますか、アメリカのような独立FP事務所の業界が日本にもできたらなぁと思っていまして、それで「ミスターFP」という独立FPのグループを立ち上げてその方々の援助をしています。それで、「独立FPとは」ということも少しお話させていただきたいと思います。
私がFPとかかわりあったのは、まず最初にアメリカにMBAを取りに行ったときでした。1971年。1971年というと、アメリカでもFPなど誰も知らないという時代でした。
ご存知のように、1969年にアメリカのFP協会ができました。13人のFPが集まりまして、IAFPというFP協会を作りました。このIAFPというのはずうずうしいんです。International Association for Financial Planning、何もインターナショナルじゃない。アメリカなんです。本当はAAFPでいいのですけどね。IAFPという名前を13人で作りまして、そこからスタートしました。
私がアメリカに行ったのが1971年ですから、その翌々年くらいなので、ほとんど誰も知らなかった。私も教えてもらうことはなかった。今はアメリカのMBA、大学のビジネス学科で、ほとんどがFPを教えています。しかし、私が行った当時は1校も教えていなかった。それが実際です。
私がなぜFPの世界に入ったかというと、MBAでいろいろな課目があります。マーケティングの課目、マネージメントの課目、その中でファイナンスの課目があって基礎学科でとらなくてはいけないのです。日本でファイナンスというと、融資みたいなイメージですが、いわゆる財務・金融の領域なんです。ファイナンスの学科をいくつか受けまして、これが面白かったんです。私がいたところは、ニューヨークとボストンの真ん中、ニューヨークから2時間くらいのところでした。そうするとウォールストリートから先生がきたりするんです。結構面白かったです。私は専攻がマーケティングだったのですが、マーケティングよりもファイナンスのほうが面白かった、点数もよかったです。
そのときに、ファイナンスという領域が非常に好きになりました。なんとかこの世界で生きていきたいという気持ちがわいてきました。そして日本に帰ってきました。アメリカでファイナンシャルプランニングを知ったということになっていますが、帰ってきたときはまだ知らなかった。帰ってきたのは1974年の3月。それから日本能率協会に入って経営コンサルタントをやっていました。しかし、やはりなんとかファイナンスで生きていきたいと思い始めて、アメリカの友だちとやり取りをしたりするうち、アメリカでファイナンシャルプランナーというのが出てきたと知りました。70年代の半ば頃です。これで生きていきたいと思いました。
それからは独立の準備です。独立のために何をしたかというと、能率協会を辞めました。損頃の日本能率協会の給料は安くてね、景気が悪くて首切りまでやっていました。私は首は切られませんでしたが、これはダメだなと思いました。MBAを持っていたので外資に行くと給料が上がるんです。そのとき、シャンプーのウエラというドイツの会社がプロダクトマネージャーを探していました。たまたまなんですが、1977年の1月のうちの奥さんが友だちとシャンプーの話をしていたんです。そのときにウエラという名前を聞いたんです。そんな化粧品会社があるのかと思っていたら、3月ぐらいにオファーがあって、これは受けてみようと思いました。入社したら給料が倍になりました。それで、資金を貯め始めた。どうやって貯めたかというと郵便局の定額貯金です。その頃非常に高利回りでした。
(中略)
80年代に入って、アメリカではFPが表舞台に出てきました。私がFP事務所を開いた1983年の“Wall Street Journal”には“It’s Booming”というタイトルでFPが紹介されていました。ところが、1980年代中頃になってくると、これは儲かるということで、いろいろなFPが入ってきた。中には悪いFPもでてきて、当時有名になった話でしたが、偽の絵画を売りつけるという事件もありました。年間20~30人のCFPが悪いことをして首を切られていました。
私は抵当証券を見ていました。抵当証券は抵当証券法に基づいたきちんとしたものなのです。最初、抵当証券を始めたのは大手から始まってきちんとした会社でした。ところが、変なところも入ってきて、最後はなんとか商事というのがありましたね。抵当証券のイメージが全部灰色になっていまった。しっかりした抵当証券会社もお客さんから見ると、同じ抵当証券会社として全部灰色になってしまったのです。これは何とかしなくてはだめだなと思いました。
日本には税理士、弁護士がいます。警察につかまる税理士も弁護士もいます。しかし、ちゃんといい人は守られています。なぜかというと、悪いことをしたら税理士や弁護士の業界からはじき出される。その制度ができているからです。アメリカも団体が一生懸命頑張ったわけです。CFPにも CFP Boardというのがあります。ICFPはCollege for Financial Planningという学校から始まりました。学校の授業があって、それをとった人が卒業免状としてCFPの称号をもらえたわけです。しかし、そうではなくて、CFPとはこうであるべきだという委員会を学校のビジネスから離さなくてはいけない。それでCFP Board ができました。ここでCFPの4Eが決められました。College for Financial Planningはまだありますが、いまは単に教育機関の一つでしかない。昔はそれが一緒だったのです。アメリカ人というのはなかなか賢いなと思ったのは、これを別個にしました。そうしてCFPを確立していきました。
悪い人は業界からキックアウトされる。そのためには、そういう組織を作らなくてはだめだと思いました。日本でもそのうち悪い人たちが出てくるだろうから、きちんと協会を作って、その人たちからFPの称号をはく奪するシステムを作らなくてはいけないと思っていました。それで、協会がほしいと思っていたのです。
(中略)
最初、私が執筆を始めた頃は「FP」という名前は使えませんでした。何年かしてから、「FP」を使い出してOKになりました。そのうち何年かたって、どこかの雑誌社が「FPとしての意見を聞きたい」と言ってきたのです。私は「えっ!変わったな」と思いました。まだ1980年代だったと思います。
FPという資格を持った金融評論家ではあるんです。ちょっと間違われたなと思っているのは、エムエムアイの出身者がFPとしてずらっとやっていたものですから、「金融評論家=FP」と思われてしまった。彼らはFP資格を持った金融評論家ではありますが、いわゆるアメリカでいうFP業ではないのです。金融評論家業は、それはそれで素晴らしい職業だと思います。ただ私はもう疲れた。毎日毎日締め切りに追われるのはもう疲れました。それでコンサルティング業になりました。
今現在は独立FP業を何とか日本に、アメリカのように、アメリカの何分の1でもいいから、そういう存在にしたいなと思っています。FPの資格としてはすでに日本は世界一です。アメリカにはCFPともう一つ、ChFC=Chartered Financial Consultant というのがあります。これはAmerican Collegeという教育機関がやっています。1981 年からやっています。これも長いです。アメリカでFPの資格と言うとCFPかChFC、CFPが代表的な資格です。この二つをあわせても10万人いくかいかないかでしょう。日本は3級まで合わせると40万人くらいいますから世界位置です。
(中略)
アメリカで始まったFP業ですが、アメリカの次に盛んなのがオーストラリア、カナダ。少し遅れてイギリス。実務という意味ではずっと遅れて日本という感じです。
もちろん日本の場合、日本FP協会やきんざいのFPの価値というのは、FPによって金融機関の方々の教育レベルが上がったという貢献はあると思います。それから、いわゆる金融機関の教育制度としてのFPもあると思います。それから、一般の方々を教育する意味での金融評論家という意味もある。そういう貢献度はたくさんありますが、実務家が非常に少ない。
(中略)
元の話に戻ります。アセットマネージメント。なぜFPが儲かっているか。
ファイナンシャルゴールを見せるというのがFPにとって一番大事なことです。見せると、「この3000万を3.5%で運用できれば私が考えている老後のこういうことは全部できるんですね。じゃあ先生、3000万を3.5%で運用するにはどうしたらいいんですか」、お客さんは必ず聞いてきます。
いま我々ができるのは、「こういうポートフォリオでどうでしょうか」という推薦ポートフォリオです。アメリカも1980年代はそうでした。しかし、1990年代になって変わった。「先生に預けるから3.5%で運用してよ」となってきた。そこでアセットマネージメントが出てきた。アメリカの場合にはファイナンシャルプランナーは年間の口座管理料として0.7%くらいいただく。3000万の0.7%というと21万円が年間の口座管理料です。そういう人が100人いれば2100万円です。100人いなくても、中には3億持って来る人がいるかもしれない。
その方々は先生に人生の運用を託したわけです。お金の運用ではないですよ。人生の運用です。お金の運用だったらファンドマネージャーに頼めばいい。この1000万円をより大きくしてくださいとなるわけです。ファンドマネージャーは一生懸命それを頑張って1年経ってこうでした。うまくいけばまた契約して続けられるし、ダメだったら切られる。ところが、ファイナンシャルプランナーに預けたお金は、通常、切りません。ずっと続く。これを、これから20年、30年3.5%で運用できたらこうなるというのがわかっているから。今年はゼロかもしれないが、来年7%かもしれない。そして、20年、30年で3.5%で運用できればいいわけ。
ですから、顧客から見ていちばんほしいのが、どう運用したら自分の夢が叶うのか。それがわかれば、それを実行してほしいとなるわけです。実行するのにアメリカではアセットマネージメントをやっている。日本ではアセットマネージメントがなかなかできない。
アメリカでのやり方というのは二通りありまして、Registered Investment Adviser(RIA)、これはいわゆる日本でいう投資顧問です。それから、Independent Contractor、いわゆる仲介業です。仲介業の場合、我々はできますが、ラップ口座を使うしかない。そこにお客さんの口座を持って、形としては、お客さんが払う口座管理料の一部を証券会社からもらいます。アメリカで主流はRIAです。RIAはファイナンシャルプランナーが契約して、アセットマネージメントフィーをもらいます。ただし、運用するのはファイナンシャルプランナーではないことが多い。もちろんファイナンシャルプランナーでやる人もいますが、それは少ない。自分の会社の中にファンドマネージング部門があって、そこに任せる場合もあるし、あるいは契約している外部のファンドマネージング会社に依頼することもある。アメリカにはファンドマネージング会社はたくさんありますから。アウトソーシングのほうが多いです。
ですから、アメリカのFPフェア、向こうではFP Conventionといいます。そこに、日本と同じように-あれは日本が真似をしたんですが-私は第1回と第2回のFPフェアの実行委員長をやりましたが、あれをやるのが夢だったんです。CFPができて次の年くらいに第1回のFPフェアをやりました。アメリカの場合、セミナーをやって継続教育にもなるのですが、ずらーっとブースが並びます。日本だと20社くらいですが、アメリカは300、400並びます。その中の3分の1くらいはファンドマネージング会社です。FPに「うちと契約しましょうよ。うちはこんなに運用成績がいいんですよ。こんなにすばらしいレポートを毎月だすんですよ」というわけです。ファンドマネージング会社にとっても、FPから来る顧客はうれしい客。やめないからずっと運用できる。だから、FPと契約したがる。FPも自分ではできないから運用は任せる。
(中略)
保険業の先端にFP業があるわけではない、証券業の先端にFP業があるわけではない、税理士業の先端にFP業があるわけではない。これは全然別の世界です。ミスターFPの場合、申し訳ないけど、税理士さんが来たら、「税理士を辞めるんですか? 辞めてくれたら入ってもいいですよ」と言っています。これは別の世界。それを理解してもらいたい。それを理解してくれないとFP業で客がつかないのです。
よく皆さんが言います。お客さんがなかなか資産内容を話してくれない。それはお客さんが悪いのではない。FPであるあなたがFPになっていないからなのです。たとえば皆さんが町のお医者さんだとする。男性のお医者さんです。そこに女性の患者さんがきた。「診察しますから服を脱いでください」と言いますね。服を脱がなかったら診察できないのだから。それがあなたは言えますか。そこのところです。お客さんと最初の面談で全部の資産内容を聞けますか。全部の夢を聞けますか。全部の収入を聞けますか。聞けたらあなたはFP業です。これは技術ではないのです。心構えだけ、考え方だけなんです。自分が医者だと思ったら言える。医者だと思えば脱いでくださいと平気で言えるでしょう。自分が薬局の店長だったら絶対に言えない。それだけの違いです。
(以下省略)